[特別インタビュー]「ビジネスパーソン必読。識者に聞く!第2弾」
インタビュー:経済ジャーナリスト 井上 久男氏

 海外のEV(電気自動車)メーカーが急速に台頭している。日本の自動車メーカーも燃費効率の向上やハイブリッド技術の開発、水素燃料電池の研究など脱炭素化に向けて幅広い技術の可能性からアプローチする「マルチパスウェイ」に取り組んでいる。しかし、世界で起こっているEVシフトの先にあるのはソフトウェアをアップデートすることで便利になる「自動車のスマートフォン化」だ。経済ジャーナリストの井上久男さんは、日本の自動車産業における素材の技術優位性は変わらないものの、「PDCAサイクルを回す仕事に固執せず、新しいことへの挑戦が必要」という。(聞き手:落合平八郎広報事務所)


EV市場での日本の競争力と課題

―世界中で急速に進行するEVシフトにおいて、日本と海外メーカーとの競争が激化しています。

世界中で急速にEVシフトが進行していることは、広く知られています。この変革の出発点は、二酸化炭素排出の削減とカーボンニュートラルな未来への実現に関連しています。しかし、実はこの取り組みの更なる進展として、クルマのスマート化への流れがあり、その中でEVシフトは避けて通ることのできない現実となっています。将来、自動車はソフトウェアによるアップデートやサービス提供によって進化し、ソフトウェアデファインドカー(Software-Defined Vehicle、SDV)へと変わっていくと予測されています。これはまさに日常的に使っているスマートフォンがクルマになったというイメージです。ソフトウェアのアップデートにより、使いやすくて便利で楽しいクルマに変貌するのです。

一方、日本の自動車メーカーを含めた産業界では、EVシフトをLCA※の観点から、二酸化炭素排出量の削減に焦点を当てた議論が中心に行われています。その影響もあってか、日本企業は伝統的なエンジン技術の進化、燃費効率の向上、ハイブリッド技術の開発、水素燃料電池の研究など、幅広い技術の可能性を探求する「マルチパスウェイ」に取り組んでいます。このアプローチは、国や地域によってエネルギー事情が違う中では高く評価されるべき取り組みです。ただし、過度にマルチパスウェイにこだわることで、クルマのスマート化に対する取り組みにリソースがさけずに遅れが生じないか危惧されます。クルマのスマート化という流れの中で、EVが主要な役割を果たす可能性が高いと考えています。

※ライフサイクルアセスメント:ある製品やサービスのライフサイクル全体(資源採取―原料生産―製品生産―流通・消費―廃棄・リサイクル)又はその特定段階における環境負荷を定量的に評価する手法。


ハードウェアの進化と日本のモノづくりのデジタル転換

― 日本のモノづくり業界が、ハードウェアの進化とデジタル化への転換に取り組む必要がある理由と課題についてお聞かせください。

実は、そのハードウェアにおける優位性も遅れを取り始めているのではないかと心配しています。一例を挙げると、米国・テスラ社の車は他社に先駆けてアルミダイキャストで車体の骨格の一部を作っています。これは大きな金型の中に融解したアルミニウム合金を充填して作る鋳造機械を採用しており、同社ではギガキャストと呼んでいます。とても巨大な機械で体育館1個分ぐらいの大きさだそうです。ここで作られた車体は劇的に軽量化できるので、結果的にEVの航続距離延長に貢献します。鋳造技術は古くからある技術ですが、ここまで大型化したものは日本にはありませんでした。テスラ社は試行錯誤の繰り返しの中でこうした技術を習得したわけで、議論するだけではなく、新しいことに挑戦するために、素早く実行しながら軌道修正もスピーディーという企業文化があるからこそ誕生した技術だと思います。

また、日本のモノづくり全体でいえばデジタル化が遅れています。日本では職人的な技を「巧の技」と呼んで美化してきました。もちろん、これはとても大切なことなのですが、この巧の技に甘んじてきたのではないかと思います。中国など海外企業にはもともと巧の技がないことを自覚しているので、むしろ貪欲にこうした技をデジタル化しています。巧の技がなくてもモノづくり大国になるためにはどうしたらいいのかを考え、人に頼らず技術のデジタル化を徹底しています。これによってどの工場でも同じレベルで高品質な製品を作りこむことができます。


挑戦とPDCAサイクルの限界:日本の技術力と競争力を高めるために

― 日本の技術力は高いがPDCAサイクルに依存しすぎている可能性があります。新たな挑戦とアプローチの重要性についていかがでしょう。

モノづくりに限らず日々の改善活動において、PDCAサイクルは非常に重要です。皆さんもよくご存じのPlan(計画)→Do(実行)→Check(検証)→Action(処置)です。しかし、この後にStandardization(標準化)が続くことがあまり知られていません。PDCASは既存の作業を効率化するためのツールなのです。

しかし、新しい分野や技術において標準が存在せず、あらたに挑戦することが必要な場合にはPDCAサイクルは適していません。日本のエンジニアの多くはこのPDCAサイクルの思考に慣れているばかりに新しいものへ挑戦ができなくなっているように思います。そのためには、まずDo、実行から始めてみてはどうでしょう。「やってみなはれ」はサントリー創業者やパナソニック創業者が示した言葉として広く知られています。新しいものに挑戦し、未だ試みられていないことに取り組むには不安がつきものです。しかし、かつての偉大な経営者たちが強調したように「やってみること」が成長の礎です。


日本の自動車産業の未来:変革と新たな挑戦の必要性

― 日本の自動車産業が今後も世界をリードし、将来に向けて競争力を強化するためには、新たな挑戦と柔軟性が不可欠です。

コロナ禍前に、米国のシリコンバレーと中国の深センを訪れた際、現地の経営者から「日本が遅れている理由はPDCAサイクルに固執しすぎるからだ」と指摘された経験があります。新たな技術や革新的な製品を生み出すためには、PDCAサイクル以外の方法やアプローチを模索する必要があります。日本の自動車産業は長らく世界をリードしてきましたが、その成功経験が新しい挑戦に臆する一因となっており、一種の既得権益のような状況かもしれません。新たな挑戦を認めず、従来の改善活動に固執する上司の下で、有望な部下が育つ余地は限られています。

これからの時代を担うエンジニアには、自身の技術がどのようにお客様のビジネスや消費者の満足に貢献するかを考える必要があります。例えば、最近では樹脂と金属を組み合わせた複合素材というアイデアが登場しています。最適な組み合わせによって例えば車体の軽量化が可能となります。こうした従来とは異なる素材を開発するには、樹脂と金属の両方について理解する必要があります。技術の未来を切り開くためには、これまでの常識を疑いながら、新しい挑戦への意欲、柔軟性、創造性を大切にすることが不可欠ではないでしょうか。

[Profile]

井上 久男(いのうえ ひさお)
1964年生まれ。大学卒業後、大手電機メーカーを経て1992年に朝日新聞社へ入社。経済記者として主に自動車や電機を担当。 2004年、朝日新聞を退社し、2005年、大阪市立大学修士課程(ベンチャー論)修了。現在はフリーの経済ジャーナリストとして自動車産業を中心とした企業取材のほか、経済安全保障の取材に力を入れている。 主な著書に『日産v
s.ゴーン 支配と暗闘の20年』(文春新書)、『自動車会社が消える日』(同)、『メイド イン ジャパン驕りの代償』(NHK出版)、『中国発見えない侵略!サイバースパイが日本を破壊する』(ビジネス社)など。

[インタビューを終えて]

日本の自動車産業は決して技術優位性を失っているわけではなく、産業を支える現場で新しいことに自由にチャレンジできないことが課題だと井上さんは指摘しています。先日、本インタビューでアナリストの中根さんも半導体分野で同様のことをお話されていました。これからの日本を変えるためには、管理職やマネージャークラスが部下の提案に対し、気軽に「やってみなはれ」といえる度量が必要なのかもしれません。(落合)。